網代由来
網代の港は昔から漁業が盛んでした。また、大風が吹くと、荒波をさけるため近くにいる船が避難をする港としても有名です。
網代港は、その昔、網を入れる漁夫の漁場でしたが後に漁が盛んになるにつれて、港の入江に漁夫の小屋ができはじめ家も増えました。そして、やがて網を入れる場所である網代の名が、こうした漁家や小屋の建つ村の名になったと言われています。
「網代」の説はまちまちですが、古歌に「うじ川はよどむ瀬もなし網代人 舟よふこえのおちこちきこゆ」などと詠まれています。
網代とは、網を入れる場所であり、その名がやがて網代村となったと言うことです。
江戸時代廻船でにぎわった網代港
網代港は伊豆東海岸随一の天然の良港で、「京大阪に江戸網代」といわれ、諸国の廻船でにぎわっていました。
江戸に幕府がおかれると物資は江戸を中心に運ばれるようになりました。九州・四国・大阪・堺・名古屋方面からも千石船のような大型帆船、中型の帆船の廻船、小型の押送船が網代港に入港しました。
江戸への海路の要衝として、順風に帆を上げれば約10時間、朝5時に発てば午後3時頃には、江戸に到着する地の利を得た港でした。風の力で航行する帆船は良い風向になるまで、何日も港に碇泊していました。このため港には廻船宿が設けられてにぎわうようになりました。
また、滞在中に船荷を売る時はその斡旋の口銭の収入も入りました。更に航海中に台風などのシケに会った船の積荷米は濡米となり上納できませんでした。そこでこの米は「濡米」として村役人を通じて入札され、田のない網代の人は安い米を買うことができました。このように港の商人、船宿も多く、網代港は江戸時代にすこぶる活気にみちた港町となりました。 |